ストーリー講座

サラさんと依存症(後編)

前回までのサラさん

前回のサラさん(サラさんと依存症(中編))は……。

ななみさん
ななみさん
”特効棋譜”!?
ヒシャスキー
ヒシャスキー
サラさん君だけに効くオーダーメイド棋譜だ。うまくいけば、サラさん君の王手飛車に冒された評価関数を書き換えられるかもしれない

ななみさんはうまく”特効棋譜”を作ることができるのでしょうか?

嘴(くちばし)が疼くのだよ

ななみさん
ななみさん
サラさんが王手飛車依存症を発症するきっかけになった棋譜は……この棋譜です
ヒシャスキー
ヒシャスキー
王手飛車の局面が見たい
ななみさん
ななみさん
どうぞ
先手番:サラさんが指した次の一手は?
ヒシャスキー
ヒシャスキー
なるほど。この局面でサラさん君は何を指した?
ななみさん
ななみさん
▲5七角です
ななみさん
ななみさん
この手が王手飛車になって飛車を取られてしまうのをうっかりしていたんです
ヒシャスキー
ヒシャスキー
それでーー。どう進んだんだね?
ななみさん
ななみさん
△3三玉▲4八角△3二銀と粘りましたけど、飛車を取られたのが大き過ぎてどうしようもありませんでした。
やっぱり、王手飛車を打たせたのがいけなかったんです
ヒシャスキー
ヒシャスキー
コホー。コホー
ななみさん
ななみさん
……
ヒシャスキー
ヒシャスキー
本当にそうだろうか?
ななみさん
ななみさん
どういうことです!?私に勝ちがあったのですか
ヒシャスキー
ヒシャスキー
コホー。わからない。正直に言うと我の棋力は13級程度のものだ。何が王手飛車なのかをかろうじて判別できるに過ぎない
ななみさん
ななみさん
ならば何故!?
ヒシャスキー
ヒシャスキー
コホー。コホー。……。嘴(くちばし)が疼くのだよ。
さぁ、その局面を携えてサラさん君の元へ行くがよい。彼女を救う一手は君が見つけるんだ

ななみさん癒しの一手

サラさんの部屋の前に戻ると、ドアーが開いていました。中ではサラさんが将棋盤に駒を並べ、何度も何度も同じ手を打ち付けていました。

サラさん
サラさん
オウテビシャ……。オウテビシャ……

▲5七角……▲5七角……▲5七角。
サラさんが繰り返し指し続けているのは、ななみさんとの対局で現れた王手飛車だったのです。
新しい王手飛車の補給が途絶えたサラさんは、過去の王手飛車を何度も反芻して味わっていたのです。

ななみさん
ななみさん
サラさん……

ななみさんはサラさんの真正面に腰をおろしました。
王手飛車をかけられてしまった絶体絶命絶望の局面です。

ななみさん
ななみさん
私が……助けるね

ななみさんの手は駒台の上で逡巡するかのようにしばし揺れます。そして、ふわりと高く舞い上がり、柔らかな駒音で”それ”は放たれました。

――△3五角。
それは”癒し”と呼ぶにはあまりにも大胆で剛毅な一手でした。
それは中合でした。
それはタダ捨てでした。
それは自らの喉に刀を突き立てる手でした。
”頭が痛い”と救いを求める者の頭部を一刀のもとに切断して”痛みの原因は断った”と嘯(うそぶ)くような――。
そんな非情の一手でした。

サラさん
サラさん
タダ……。角タダ……

角を取る寸前でサラさんの手がピタリと止まります。
並の王手飛車中毒患者ならためらうことなく飛車か角を取ったでしょう。しかし、サラさんの奥深くに眠る”将棋の本能”が△3五角の放つ強烈な”獣臭”を嗅ぎとったのです。
こうした類の踏みとどまりは、プロ棋士でもほんの一握りの”別領域の人々(The Stranger)”しか身に着けていないものでした。

サラさん
サラさん
おうて……びしゃ……なのに……

サラさんの中で王手飛車依存症の快楽と、将棋への天稟(てんぴん)が激しくせめぎ合います。

ななみさん
ななみさん
あの将棋は△3五角で私が勝っていたんだ。王手飛車は次に飛車か玉を取られる手……。それならば、角を差し出しても構わない。
将棋は”対話”なのだから一度に一手ずつしか指せない。
角か飛車ーー。
どちらかの刃(やいば)を盤上に残せればそれでよかったんだ

次の瞬間、サラさんの体がビクリと震えました。

サラさんと王手飛車の国

そのころ、精神世界(心の中の世界)でサラさんは大きな鳥居の前にいました。鳥居の上の部分にはでかでかと『王手飛車の国』と書かれています。

サラさん
サラさん
なんとなく入っちゃいけない気がしてきた……

外の世界でななみさんの”癒しの一手”を食らったサラさんは、王手飛車の国を目前にして踏みとどまってくれたようです。
――しかし、鳥居の向こう側からなにやらいい匂いが漂ってきました。
「たこ焼き、たこ焼き~。いか焼きもあるよ~」
中から威勢のよい声も聞こえてきます。

サラさん
サラさん
帰る前に腹ごしらえをしておこう!夢の中っぽいし、食べ放題に違いない(じゅるり)

サラさんはうかつにも鳥居をくぐり、境界をまたいでしまったのでした。
――途端、今までの空間は消え失せます。サラさんは和室の片隅に立っていました。期待していた屋台や商店はどこにも見当たりません。

サラさん
サラさん
うう……。たこ焼き、いか焼き、たまごボーロ、焼きそば、アメリカンドッグ、甘栗、唐揚げ、かき氷……

サラさんがうなだれていると、真正面の襖(ふすま)が両開きになり、さらにその向こうの襖も次々と開いていきました。
無限に開いていく襖と和室の両脇には、将棋盤が並べられています。

サラさん
サラさん
王手飛車。これも、王手飛車。次も王手飛車

どの盤面にも「王手飛車次の一手」の局面が並べられていたのです。サラさんが王手飛車の一手を指すと、どこからともなく「困ったなぁ」「まいったなぁ」「そんな手があったか」という声が聞こえてきます。
カジノのスロットやパチンコ台、スマホゲームの演出のようなもので、遊戯者をいかに中毒にさせ遊戯の世界の中に囚われさせるかに特化した空間なのでした。

サラさん
サラさん
王手飛車。王手飛車。王手飛車。王手飛車……

最初は面白おかしく王手飛車を続けていたサラさんでしたが、数十の和室を通り抜ける頃には何か物足りなさを感じ始めていました。

サラさん
サラさん
(なんでこんなに王手飛車ができるのに、こんなにも面白くないんだろう……)

そして”ある局面”が現れました。

当然サラさんは▲5七角と打ちます。

声は言います。
「いやぁ、そんな手があったか。まいった、まいった」

王手飛車をかけてサラさんの勝ち――。
しかし、やはり何か物足りないのです。

サラさんは気付きます。

サラさん
サラさん
あの子なら、ここで負けを認めない。あの子ならまだまだわたしを楽しませてくれる。あの子なら――

――サラさん。
どこかから声が聞こえたような気がしました。
サラさんは思い出します。

サラさん
サラさん
”ななみさん”なら――

ななみさんのいない世界なんて、いくら王手飛車を指すことができても、これっぽっちも面白くなかったのです。ななみさんのいない世界にいる意味なんて特にないのです。

”ななみさん”という言葉を口にした瞬間、サラさんの周囲は光に包まれていきました。囚われた異界の空間から出る鍵はその人が一番大切にしている言葉――すなわち”ななみさん”だったのです。

帰還と後遺症

ななみさんとサラさんは相変わらず、放課後に将棋を指しています。
少し変わったことと言えば……。

サラさん
サラさん
王手飛車――
ななみさん
ななみさん
サラさん、ちょっと手震えてない?

サラさんの王手飛車依存症は完治したのですが、後遺症として王手飛車を指す時に手が震えるという症状が残ったのでした。ただ、羽生先生の勝利確定演出と同じようなもの――と考えると特に問題はなく、逆に格好いいとさえ思えるのでした。

(おしまい)

参考文献・素材など

サラの柔らかな香車」(橋本長道 集英社)

似顔絵メーカーCARAT
いらすとや
アルコール依存症治療ナビ
悪循環画像ジェネレーター
将棋GUIソフト「将棋所」のページです。