コラム

ゲーム戦争の時代の愛――将棋は滅びるのか――

 

コンピュータ将棋への敗北は将棋のおわり?

2017年現在、コンピュータ将棋が人間の力を遥かに上回ってしまっているというのは、多くの人がまのあたりにしている事実です。

それでも信じられないという人は、電王戦第一局ponanzaー佐藤天彦名人の対局を並べてみるとよいでしょう。
(コンピュータ将棋が人間を越えたのはいつか? ということで、一つは2013年第二回電王戦の三浦-GPS将棋戦が象徴的だったと思います。また、拙著「サラは銀の涙を探しに」にもコンピュータ将棋の描写が出てくるのですが、この作品の舞台はまさにコンピュータが人間を越えようとしている時代の話であり、さらにその数年前あたりを想定しています)
将棋はチェスや囲碁と同様に、「コンピュータによって乗り越えられてしまった競技」の一つなのです。
では、そのことが即ち「将棋の終わり」を意味するのでしょうか?

そのことは、将棋よりも十年少し早くコンピュータに敗北してしまったチェスを参考にすればいいでしょう。
当時世界チャンピオンだったカスパロフが、ディープブルーに負けた後も、チェスのGM(グランドマスター)達に対する人々の尊敬は変わりませんでしたし、競技自体が縮小するというようなことも起こりませんでした。
頭脳スポーツにおいて、コンピュータが人間を上回ることと、その競技の盛衰には大きな相関関係はなさそうなのです。

ただ、私は将棋においては衰退を危惧しています。

ゲーム戦争の時代は始まっている(もう終わってるかも?)

それは「盤上ゲーム戦争」において、将棋はチェスや囲碁に比べて大きく出遅れているからです。
「盤上ゲーム戦争」というのは私が勝手に命名した、世界においてそれぞれの盤上ゲームがどれだけ普及されているかを競う競争のことです。

ここでは、将棋・囲碁・チェスに絞って考えてみましょう。

チェスという覇権ゲーム


今、現在の「盤上ゲーム戦争」においての覇者がチェスであるということに疑いはありません。

チェスは世界150ヶ国、7億人の人にプレイされているという調査結果があります。
ゲームの複雑性においては、チェス、将棋、囲碁の順番に複雑になっていくという話があります。これは単純に可能性局面や選択肢の多さについてのことです。コンピュータに解析させようとすると、選択肢がの多いゲームのほうが難しいというのは当たり前の話です。

ゲームの複雑性とゲームの面白さに関係はありませんし、単純なゲームのトッププレイヤーのほうがレベルが低いなんてことはさらにありません。(百田氏のエッセイに多くの反論が寄せられたのはこのためでしょう)
私自身は、将棋とチェスについてある程度わかるのですが、チェスのほうが早く戦いが起こり、気が抜けないという感覚があります。一手の重要さもチェスのほうが重く感じます。それは可能性数が少ないがゆえに、かなり遠くまで読めてしまうので、一手のミスが致命傷になる確率が高いからなのでしょう。
チェス、将棋、囲碁の順番でトッププレイヤーの年齢が若い傾向があるということにはそういう理由があるのかもしれません。

囲碁は要所を獲った

さて、チェスに続いて囲碁ですが、囲碁は中国・韓国という東アジアの人口が多い地帯に普及できたことが大きいと思います。
地域制圧型SLGにおいても、要所を獲ることは重要ですからね。特に中国において普及したことで、21世紀における囲碁の生き残りは保障されたのではないかと思います。
日本国内においても、プレイヤー人口は将棋のほうが多いはずですが、地域の「将棋道場」と「囲碁サロン」の数を比べると圧倒的に後者のほうが多いです。
話題になるのは将棋のほうが多いけれど、着実に地域制覇を続けているのは囲碁のほうである――ということでしょうか。

将棋、滅びの美学

最後に将棋です。多くの棋士や愛好家による海外普及への努力があることは知っていますが、「盤上ゲーム戦争」に勝てるほどの成功を収めることができていない、というのが実情でしょう。文化統合が進んでいく21世紀という時代の中で、将棋が「一地域におけるローカルな盤上ゲーム」として力を失っていく可能性は残念ながら高いように思えます。

「盤上ゲーム戦争」において生き残るのは、一番面白いゲームではありません。一番、普及したゲームなのです。
Windowsが一時PCにおける覇権を握ったのは、Macより優れているからという理由ではありませんでした。進化論においても、生き残るのは一番優れたものではなく、一番適応したものなのです。
「盤上ゲームといえば〇〇」の〇〇に当てはまると多くの人が思うゲームが勝者となるのです。

「将棋のおわり」というのは、「コンピュータに人間が負けること」ではありません。「盤上ゲーム戦争において敗北すること」が将棋のおわりなのです。
私自身は将棋が一番面白いと思いますし、将棋にコミットし続ける人生を送ってきたので、将棋には21世紀を越えて生き残ってもらいたいところです。

それを可能にするのは、華々しい何かではなく、人間的で泥臭い個人個人の行動でしかないのだと思います。

 

最後に

私が「しょうぎーく」なるコンテンツを作ってみようかなと思ったのも、この「盤上ゲーム戦争」において将棋が少しでも善戦するための助けになるかな、というのが少しはあります。まぁ、打ち捨てられる歩のようなものだとは思いますが、色々と書き綴っていきたいと思います。


後記

半年前ぐらいにevernoteに書いていたエッセイです。「将棋のおわり」に関しては、「サラは銀の涙を探しに」を書いた時からこんなことを考えていました。「ゲーム戦争」に関しては、civ5を500時間ほどプレイしたことが影響しているかもしれません。(もう少し書き足すべきかなとも思うので、随時追記・校正を行っていきます)